播磨國風土記 ・ 託賀の郡 (たかのこおり)
  伊夜岡

 品太天皇獵犬 名-麻奈志漏. 與豬走上此岡.天皇見之云:「射乎.」故曰-伊夜岡.
 此犬,與豬相鬥死.即作墓葬.故,此岡西有犬墓.


 品太天皇(ほむたのすめらみこと=応神天皇)に猟犬がいた。名は麻奈志漏(まなしろ)。
 犬は追っていた猪と一緒にこの岡に駆け上がった。天皇はこれをご覧になって
 「射むや(射よ)」とおっしゃった。だから伊夜岡という。
 この犬は猪と闘って死んでしまった。
 そこで墓を作り葬った。だからこの岡の西には犬の墓※がある。

 この「伊夜岡」はその後、「射夜丘」→「射丘」→「射丘山」→「八日山」と名を変え、
 現在に至っています。この地に八幡宮が創建されるに当たり、ご縁のあるこの地が選ばれる
 起源になったと思われます。
 当社はこの八日山の麓に鎮座し、山の一部分は当社境内地として社叢を形成し、
 また防災林としても重要な役割を果たしています。
 山にはトレッキングコースが整備され、標高も210mと手ごろな為、広く親しまれています。

 ※当社境内地や八日山からも古墳がいくつか出土していますが、地域の有力者などの墓だと
  考えるのが自然で、麻奈志漏の墓との関連性は低いと考えられます。
  また獣を追うために天皇に従事した猟師の事を「犬」と表記したともいわれ、
  実際のところは定かではありません。